可愛いと格好いいで溢れてる

ジャニーズとお仕事で一喜一憂するまいにち

わたしの中でジャニーズが世界の中心になったとき~浅瀬から沼へ~

書きたいことを、思い立ったときに、書く。

 

早速、本題へ。

わたしがジャニーズの世界に踏み込んだのは、正直いつかは覚えていない。ただ、味いちもんめSMAP中居正広のことをかっこいい、かっこいいと言っていたことは覚えている。母曰く、4歳ごろ。おそらくここからわたしのジャニーズ人生が始まった。(と思っている。)ちょうどその頃は、1996年。ジャニーズJr.黄金期。わたしには8個上の姉がおり、姉もジャニーズがすきだった。おそらく4歳のわたしは、姉がすきなものはわたしもすき!なタイプだったのでは、と思う。姉と一緒に8時だJ!や、J家の反乱を見ていたこと、KinKi Kids・硝子の少年やV6・overを買ったこと、覚えている。世間でいう「茶の間」、「DD」状態である。(現場にでないファンはファンじゃないとか言わないでね。)しいて担当というなら、「中居担」だったのかなー。サタスマやスマスマ等々、SMAP関連はビデオ予約していたし、小学生の頃のSMAPシングル・アルバムは買っていたしね。2002年の東京スタジアム(現・味の素スタジアム)にライブにもいったけ。今思うと、情報社会だったとはいえ、外部から情報を得る程の知能はなかった自分。邪念の気持ちのない=純粋な気持ちでジャニヲタをやっていた頃だったなと。

中学に入ると段々と嵐にはまっていく。MJへ。というか、あれは道明寺司にか(笑)花男はまったなー!中学時代は、嵐のCDを買っていた。まだまだ茶の間である。

それから、とある日、浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいたわたしが、沼にずぼっといってしまった瞬間が来る。ー2007年11月13日、それは突然やってきた。有閑倶楽部第5話を見ていた時のこと。ー横山裕に落ちた。

まさか・・・。うん、本当に突然のことであった。正直横山くんのことは、勿論8時だJ!の頃から知っているし、ピカイチも散々見てた。なんとも思っていなかったからこそ、自分でもびっくりした。そこからわたしはTSUTAYA関ジャニ∞のアルバムを借りたり、12月発売のDVDを予約したり、ラジオを聴いたり、横山裕を知りたいという欲求のままに行動した。しかしこの時期ひとつネックなことが。その時わたしは絶賛受験生であった。(指定校推薦もらっていたから受験生というのか?)親にはDVDは受験が終わるまで(1月下旬)見るなと言われていたが、ほぼ毎朝5時くらいに起きて親が起きてくるまでひっそり見ていた。(12月下旬のおもちつきしているときにばれたが(笑))なにわともあれ、高校は無事合格しましたよ。そこで相方とも出逢えたわけで!まあ、少し脱線しましたが、こんなそんなで突然「横山担」となっていったという訳なのです。晩年茶の間状態だったわたしも、2002年ぶりに現場デビューすることになりまして、(2009年Puzzle魂~)そして今現在も沼に滞在している。2007年~2015年現在まで何もなかったわけではないが、一途(ではないだろ!←)に横山担やってます♡♡♡

そのうちまた2008年~2015年のことを書こうかなー!たぶん!

 

 

 

ーーー少し脱線するが、ここで書き留めたいことがある。1999年、某Jr.が未成年喫煙をしたことで事務所を退所した。そのときのTV映像は今でもわたしの脳裏に焼き付いている。そのJr.とは、姉の担当Jr.だった。それから姉は、ジャニーズの沼を抜けた。いわゆるヲタ卒である。Jr.担なら他のJr.に降りてもおかしくないのに、なぜヲタ卒したのか。あれから16年、姉に聞いた。ー 彼に勝る人なんていないんだよ。

わたしにもヲタ卒する日がくるのかなーなんて。でも、横山裕に勝てる人なんていない。根拠のない確信がここにある。

 

 

おわり!ドロン!(゜レ゜)